補足: 剛体の運動と慣性力


English

潮汐力は, ニュートンの時代に解決した古い問題だ。 潮汐力を計算するには, 地球の各点における天体からの重力と地球の中心における天体の重力との差を取ればよい。 ところが, 潮汐力の解釈となると話は別のようだ。 たとえば, ウェブを見ると, 解釈を誤ったまま潮汐力を説明している公的サイトや個人サイトが多い。 とくに, ほとんどのサイトは, 並進慣性力を誤って遠心力と呼んで混乱を引き起こしている。 地学の教科書も同様だ (* 地学の教科書は2023年に改訂された)。

この原因として, 以下のような概念を混同していることが考えられる。

じっさい, 多くの解説記事は並進円運動のことを回転と呼んでいる。これは「回転」の誤用だ。 また, 並進慣性力のことを「どこでも同じ遠心力」と呼んでいる。これは定義を誤解した「遠心力」の誤用だ。 剛体の運動と慣性力の正しい理解は, 潮汐力を理解するためには必須なので, 以下で整理しておこう。


剛体の運動

大きさを無視した「質点」に対して, 大きさをもつ変形しない物体を「剛体」という。 剛体の運動は2つの運動の合成として表すことができる。 ひとつは向きを変えずに移動する並進運動, もうひとつは回転軸の周りの回転運動だ。 剛体の運動に並進運動と回転運動があることは高校の物理でも習う。 ただし, 高校では静力学 (つり合いとモーメント) だけで終わってしまう。 しかし, 加速度運動を習ったあとなら, 剛体の動力学を理解することはむずかしくはないだろう。

1. 並進運動
剛体が慣性系に対して向きを保ったまま移動する運動。 並進運動する剛体にカメラを固定して星空を撮影すると星は静止する。 向きを変えない運動であれば, 直線運動でなくても並進運動だ。 図A-3のような, 円に沿った並進運動でもよい。 並進運動する剛体に乗った座標系では, 遠心力は決して現れない。

図A-1. 並進運動の例: 右への等加速度運動 図A-2. 並進運動の例: 自由落下運動 図A-3. 並進運動の例: 並進円運動

2. 回転運動
剛体が, ある軸を中心に回転して, 慣性系に対して向きを変える運動。 回転運動する剛体にカメラを固定して星空を撮影すると星が流れる。 回転軸の位置は自由にとることができる (重心にとる必要はない)。 別の位置を回転軸に選ぶと, 回転軸の違いによる運動の差は並進運動になる。 回転運動する剛体に乗った座標系では, 遠心力が必ず現れる。

図A-4. 回転運動の例 図A-5. 回転運動の例 - 図A-4の回転運動と図A-3の並進運動に分けることができる

慣性力

一般に非慣性系つまり加速度運動をする座標系に乗ると, 質点の慣性に起因する見かけの力, すなわち慣性力が現れる。 加速度運動の種類によって, 現れる慣性力は異なる。

1. 並進加速度系
剛体が 図A-1~図A-3のような並進加速度運動をしているとき, 剛体の座標系に乗ると, 剛体の加速度とは逆向きの一様な (どこでも同じ) 慣性力が現れる。 一様な慣性力を並進慣性力ともいう。 慣性力がどこでも同じになるのは, 並進運動では剛体の各点が同じ運動をするからだ。 座標系の加速度を \( {\boldsymbol{W}} \), 慣性力を \( {\boldsymbol{F'}} \) とすると, 質量 \( m \) の質点に働く慣性力はつぎの式のようになる。


\[ {\boldsymbol{F'}} = - m{\boldsymbol{W}} \tag{1} \]

ここで, \( {\boldsymbol{W}} \) は場所によらない定ベクトルだ。 剛体の座標系に乗ったときに見える慣性力の場を矢印で表すと 図A-6~図A-8のようになる。


図A-6. 右への等加速度運動 (図A-1) による慣性力 図A-7. 自由落下運動 (図A-2) による慣性力 図A-8. 並進円運動 (図A-3) による慣性力

図A-1, 図A-2のような等加速度の並進運動の場合, 慣性力の向きは変わらない。 例えば 図A-1 の加速度系に乗ると 図A-6 のような左向きの慣性力が現れる。 また,図A-2 の加速度系に乗ると 図A-7 のような上向きの慣性力が現れる。 しかし, 図A-3のような円に沿った並進運動では, 剛体の座標系に現れる慣性力は, 図A-8のように力の向きが運動とともにグルグルと変化するようになる。 このとき, 加速度ベクトルは時間の関数 \( {\boldsymbol{W}} = {\boldsymbol{W}}(t) \) になる。


2. 回転系
回転運動する剛体に固定した座標系を考える。 回転系での, 回転軸上の原点からの距離を \( {\boldsymbol{r}} \) , 角速度ベクトルを \( {\boldsymbol{\omega }} \) とすると, 回転系にはつぎのような慣性力 \( {\boldsymbol{F'}} \) が現れる。 式の中で, 変数の上のドット記号は時間微分を表す。


\[ {\boldsymbol{F'}} = m{\boldsymbol{\omega }} \times ({\boldsymbol{r}} \times {\boldsymbol{\omega }}) + 2m{\boldsymbol{\dot r}} \times {\boldsymbol{\omega }} + m{\boldsymbol{r}} \times {\boldsymbol{\dot \omega }} \tag{2} \]

右辺の各項は順に, (1) 遠心力, (2) コリオリ力, (3) オイラー力 とよばれる。 このうち コリオリ力 は, 質点が回転系に対して速度を持つときにのみ現れる。 また オイラー力 は, 角速度が変化するときにのみ現れる。 回転系で現れるこれらの慣性力のうち, 位置の関数として表すことができる力 (いわゆるポテンシャル力) は遠心力だけだ。 コリオリ力とオイラー力は, 速度 (上式の\( {\boldsymbol{\dot r}} \)) や角速度変化率 (上式の\( {\boldsymbol{\dot \omega }} \)) が入ってくるので, ポテンシャルでは表すことができない。

(1) 遠心力
回転軸を中心に, 回転軸と垂直で外向きにはたらく力で, 大きさは回転軸からの距離に比例する。 回転運動する剛体の座標系に乗ったときに見える遠心力の場を矢印で表すと 図A-9, 図A-10 のようになる。 遠心力は, 回転系では必ず現れる。 \( {\boldsymbol{r}} \) のうち回転軸に垂直な成分を \( {\boldsymbol{r}}_ \bot \) とすると, 遠心力はつぎのような簡単な式で表すことができる。 高校で習う遠心力の公式 \( mr{\omega ^2} \) と同じだ。


\[ m{\boldsymbol{\omega }} \times ({\boldsymbol{r}} \times {\boldsymbol{\omega }}) = m{\omega ^2}{{\boldsymbol{r}}_ \bot } \tag{3} \]


図A-9. 回転運動する剛体 (図A-4) に現れる遠心力 - 回転軸が剛体の中心にあるとき 図A-10. 回転運動する剛体 (図A-5) に現れる遠心力 - 回転軸が剛体の中心にないとき

図A-11. 回転座標系。角速度ベクトルは, 回転軸方向のベクトルとして定義される。

(2) コリオリ力
回転系に対して相対的に運動する質点にはたらく力。 回転系に対して静止している質点にははたらかないので, 質点が動かないかぎりコリオリ力は考えなくてよい。

(3) オイラー力
角速度ベクトルが変化するときにはたらく力。 半径方向にはたらく遠心力に対して, オイラー力は半径と垂直な方向にはたらくので横慣性力ということがある。 角速度が一定のときは, オイラー力は考えなくてよい。



質点と剛体のちがい

質点には大きさがないので, 向きが問題になる並進運動を考える意味がない。 したがって, 円運動する質点を考えるときは, ふつう質点とともに回転する回転系に乗る。 このとき, 質点にはたらく慣性力は, 回転軸からの距離に比例する遠心力である。

しかし, ここで述べたように, 大きさがある地球のような剛体では円運動 (円に沿った並進運動) と回転運動 (向きを変える運動) をきっちりと区別しなければならない。 すなわち, 剛体に固定した座標系が並進加速度系か回転系かを峻別する必要がある。 もし並進加速度系であれば, 現れる慣性力はどこでも同じで, 遠心力は決して現れない。 いっぽう, 回転系であれば必ず遠心力が現れる。

多くの解説が公転に伴う並進慣性力を遠心力と勘違いするのは, 並進円運動する地球を各点に分けて, 各点の円運動を (質点の円運動と同じように) 回転運動だと誤解しているからではないだろうか (図A-12, A-13参照)。 そのような解説は, 地球の各点が, 半径が同じで中心が異なる円運動をしていると言うが, それは地球が並進円運動をしていると言っているに過ぎない。 各点が, それぞれ別々の回転座標系に乗って向きを変えながら回っているわけではない。 したがって, 各点の円運動を回転運動と呼ぶのは間違いだ。 もちろん, 各点に現れる慣性力は遠心力ではない。 本当は, 並進加速度運動ではすべての点が同じ運動をするので, 式 (1) のようにどこでも同じ慣性力が現れるだけなのだ (地球の加速度を \( {\boldsymbol{W}} \) として, 慣性力 \( {\boldsymbol{F'}} = - m{\boldsymbol{W}} \) は一様)。

図A-12. 誤解を招く説明図。地球の運動を各点の円運動に分けると, 並進円運動を回転運動と間違えるおそれがある。 各円の中心や半径も描かないほうがよいだろう。各点が各中心の周りを向きを変えながら回転しているわけではない (すべての点が剛体上の点として同じ運動をしているにすぎない) のだから。 図A-13. 地球の運動が円に沿った剛体の並進運動であることを示すためには, このように向きがわかるものを地球に乗せた図を描くほうがよいだろう。

乗っている座標系が回転しているかどうかは, 遠方の風景が流れるかどうかを考えればすぐにわかる (図A-14b, A-15b の CG 動画を参照)。 また, 座標系に現れる慣性力が並進慣性力か遠心力かは, 式を見ればわかる。 すなわち, 並進慣性力のポテンシャルは距離の1次関数, 力の大きさは定数だ。 いっぽう, 遠心力のポテンシャルは半径の2次関数, 力の大きさは半径の1次関数だ。 あるいは, 力の場を図A-6~図A-10 のような図で表すと一目瞭然だろう。


図A-14a. 静止した小さい球のまわりを並進円運動するカメラ。 図A-14b. 並進円運動するカメラから見た風景。 カメラは, 球の周りを向きを変えずに巡っているだけなので, この運動を回転と呼んではならない。 このとき, カメラの座標系には 図A-8 のような一様な慣性力が現れる。

図A-15a. 静止した小さい球のまわりを回転運動するカメラ。 図A-15b. 回転運動するカメラから見た風景。 カメラは, 公転 (円運動) と同じ周期で自転している。 カメラが乗った回転系には, 図A-10 のような遠心力が現れる。
風景には, プラネタリウムソフト Stellarium 用の背景画像を借用した。


参考書

参考
剛体の運動は並進運動と回転運動の組み合わせなので, 剛体に乗った非慣性基準系には並進運動による慣性力と回転運動による慣性力が現れる。 ランダウ=リフシッツの教科書では, 非慣性系における運動方程式はつぎのように書かれている [小教程の (29.7), 大教程の (39.7)]:

\[ m{\frac{{\text{d}{\boldsymbol{v}}}}{{\text{d}t}}} = - \frac{{\partial U}}{{\partial {\boldsymbol{r}}}} - m{\boldsymbol{W}} + m{\boldsymbol{r}} \times \mathit{\boldsymbol{\dot \Omega }} + 2m{\boldsymbol{v}} \times \mathit{\boldsymbol{\Omega }} + m\mathit{\boldsymbol{\Omega }} \times ({\boldsymbol{r}} \times \mathit{\boldsymbol{\Omega }}). \]

* 上式の\( {\boldsymbol{W}} \)は本稿の\( {\boldsymbol{W}} \)と同じ意味で, 並進運動の加速度を表す。 また, \( {\mathit{\boldsymbol{\Omega}}} \)は本稿の\( {\boldsymbol{\omega}} \)に, \( {\boldsymbol{v}} \)は本稿の\( {\boldsymbol{\dot r}} \)にあたる。

右辺各項の意味はつぎのとおり。
・第1項 … ポテンシャル力 (重力など),
・第2項 … 並進加速度運動による一様な慣性力 (ランダウ=リフシッツは一様な力の場と呼んでいる),
・第3項 … 回転による慣性力のうち オイラー力 (横慣性力),
・第4項 … 回転による慣性力のうち コリオリ力,
・第5項 … 回転による慣性力のうち 遠心力。



戻る
T. Fujiwara   2021/03, 2023/07