2023年用 地学教科書


2023年用の地学教科書で, 潮汐力 (起潮力) の説明が, 遠心力を用いた誤った説明から, 地球上の点と地球中心での重力の差という説明に改訂された。 まだ遠心力を使って説明している方々は, 早急に説明の方法を改めていただきたい。


啓林館 地学 2023年度用 (2023年改訂)

高校の「地学」* 教科書は2社が作っていたが, 改訂の年である 2023 年度に地学教科書を出したのは啓林館だけであった。 その教科書を入手したので, 改訂後の新教科書での潮汐力の説明を見てみよう。 (*「地学基礎」では, 潮汐力は扱われていない。)

私が教科書出版社に, 遠心力を使って潮汐力を説明することには問題があると指摘したのは, 教科書出版社が5年に1度の改訂作業をほぼ終えたと思われる2022年2月のことであった。 気象庁が説明を改めたこともあわせて伝えたところ, 編集委員会で検討するという返事をいただいた。 その少し前に某予備校の先生が文科省に地学教科書の問題点を指摘し, 私も文科省に意見をしていたので, 教科書出版社は文科省から訂正を指示されていたのかもしれない。 結果的に, 改訂された2023年用教科書では潮汐力 (起潮力) の説明が大きく書き換えられ, 地球上の点での月の重力と地球中心で月の重力との差で潮汐力を説明するという, オーソドックスだが正しい説明になった。 大昔の教科書が手元にないので確かではないが, 数十年前に「大きさと向きが同じ遠心力」という誤った説明が導入される前は重力の差で説明されていたようなので, 以前の説明に戻ったというべきかもしれない。 教科書出版社が誤りに気付いたのが, たまたま改訂に間に合うタイミングだったので, 改訂が早期に実現したのは幸運であった。 以下は, 新教科書の潮汐についてのページだ。 潮汐力の説明は, 図22の解説の中で与えられている。

啓林館 2023年用地学教科書 p277

解説

改訂後の新しい教科書では, 潮汐力を地上各点での月の重力と地球中心での月の重力との差で説明している。 これは, 天文学会の天文学辞典でも使われている, もっとも単純で明快な潮汐力の説明だ。

では, なぜ差をとるのか。 これを説明するためには「慣性力」の概念が必要だ。 すなわち, 地球が月の重力を受けて引かれるとき, これを地球から見ると, 地球中心での月の重力と同じ大きさで反対向きの地球全体にはたらく慣性力が現れる。 地球の中心ではこの慣性力が月の重力をちょうど打ち消すので, 地球中心で見ると月の重力は見えなくなる。 自由落下するエレベータの中で重力が消えるのと同じ原理だ。 しかし,重力の非一様性のため中心以外では力が消えずに残る。これが潮汐力だ。

「慣性力」は高校の物理には出てくるが, 地学ではむずかしすぎるとして新教科書では使用を避けたのではないかと思われる。 しかし, 月から遠い側でも海面を持ち上げる力がはたらくことを理解するためには, 月と反対方向にはたらく慣性力を使うと分かりやすいだろう。 月に引かれて加速度運動する地球から見たとき, ものが取り残されそうになる力が慣性力だと説明すれば, 高校生でも直感的に分かるのではないだろうか。 2つの力は地球中心では打ち消し合うが, 月に近い側では月の重力が優り, 遠い側では取り残そうとする力が優るというわけだ。

ところで, 教科書の図には TO とは逆の力を表す矢印が描かれていないが, 下図のように −TO を入れたほうが分かりやすいのではないだろうか。

地球中心にはたらく重力 TO とは逆の力 −TO を入れた図 (筆者案)。 逆の力が慣性力なので, 重力の差をとることは慣性力を足すことと同値。

日本天文学会の広報誌「天文月報」の記事によると, 1966年ごろから教科書での潮汐力の説明に「遠心力」が使われるようになったということだ。 当時, 多くの教員が, 月から遠い側でも上向きに潮汐力がはたらくことをうまく説明できずに悩んでいたところに, 遠心力による説明が導入され, これで説明しやすくなったと広く受け入れられたという。 百年以上も前から一部の天文学者が一様な慣性力 (並進慣性力) を「大きさと向きが等しい遠心力」と呼んでいたこともあって, 誰も「遠心力」が誤りであることに気付かず, そのまま教科書で使ってしまったようだ。

本当は, 新しい教科書で説明されているように, 潮汐力は重力の差なので, 単に地球が天体から重力を受けるだけで現れる。 地球が公転している必要はない。 もちろん遠心力も関係ない。 地球が月にまっすぐに向かっていても, 瞬間的に止まっても, 潮汐力ははたらく。 月に引かれる地球や自由落下するエレベータだけでなく, 重力を受けて運動しているものすべてに使えるという意味で, 新しい地学教科書での潮汐力の説明は完璧だ。 ただし, 重力の差というだけでは高校生にはわかりにくいかもしれない。 学校で教える先生方には, 地球から見ると月とは反対向きに慣性力すなわち取り残そうとする力が現れることを説明して, 教科書の説明を補っていただきたい。

ちなみに, 下のアニメーションは, 本稿親ページのアニメーション (図2) の向きを変えたものだ。 球殻状に配置したテスト粒子が天体の重力に引かれて運動するようすを示している。 天体に近い側では重力で引く力が優り, 遠い側では取り残そうとする力 (慣性力) が優る結果, 球殻が前後に引き伸ばされることになる。 運動で考えるほうが分かりやすい人は, 中心の加速度運動に乗ってみると, 天体に近い側は加速が先行し遠い側は加速が遅れるので球が前後に引き伸ばされる, と理解してもよい。 この引き伸ばそうとする力が潮汐力だ。 公転運動がなくても潮汐力がはたらくことは, このアニメーションを見ると明白だ。 球殻に乗ると現れる「慣性力」がピンと来ない人は, アニメーションの状況を何度も想像すると, 慣性力が実感として分かってくるだろう。

球殻のアニメーション。 球殻上の点は, それぞれ天体 (黄色い円) に重力で引かれているだけだ。 天体に近い側では重力が勝ち, 遠い側では慣性力が勝つので, 球殻には前後に引き伸ばす力がはたらく。 球殻のアニメーションを球殻の中心から見たもの。 球殻に乗ると, 中心で重力と慣性力が打ち消し合うこと, 周辺に潮汐力が残ることがよくわかる。



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T. Fujiwara 2023/04