JAXA EPO -水の球を用いた造形実験-

提案: 藤原隆男(代表)、野村 仁、 砥綿正之
実施: JAXA (宇宙航空研究開発機構)
実施日: 2008年9月9日

1 はじめに

水は、地上では重力のために水平になってしまいます。しかし、微小重力環境では表面張力が支配的になるので水は宙に浮かべると球になります。 さらに、水の球を変形させると表面張力のために波が立ちます。
筆者たちは、宇宙の微小重力環境で水の球を変形させることを考えてきましたが、その提案が JAXA の「文化/人文社会科学利用 (Education Payload Observation: EPO)」に選定され、提案した実験が2008年9月にきぼうで実施されました。

まずは、動画で実験のようすをご覧ください。

2 映像・画像

2-1 動画

下の動画は、2008年9月9日、きぼう船内実験棟で Gregory Chamitoff 宇宙飛行士によって実施された実験のようすです。 2分版 (2:05) と11分版 (11:24) があります。

MP4 Video (Short ver) MP4 Video (Full ver)
2分版 (2:05) 11分版 (11:24)


2-2 静止画

実験のスナップショットです。
    
実験の
ようす

15m30s


三角形
1625_0372 1625_0351

四角形
2004_0315 2004_0327

五角形
17m52s 17m58s 17m59s

六角形
2054_0298 2054_0308

3 背景

水をはじめ、液体には表面張力がありますが、地上では重力があるため、表面張力の作用が目立つのは、水滴などの液体が十分小さい場合に限られます。 しかし、宇宙の重力がない環境では、表面張力が支配的になり、水の形も表面張力で決まるようになります。 たとえば、水を宙に浮かべると表面張力で丸くなり、水を器に入れると水が壁面に張り付き空気が球状になります。 水が丸くなって宙に浮かぶ姿は地上では見られないので、宇宙飛行士たちは好んで水を宙に浮かべるパフォーマンスを行っています。

水を使った実験も、宇宙でいくつか試みれらています。 ひとつは、1973年から1974年にかけて Skylab で行われた一連の理科実験 "SP401 - Skylab, Classroom in Space" です。水の球に浸けたひもを引っぱって、水の球を振動させる実験も行われています。 もうひとつは、国際宇宙ステーション (ISS) で Donald Pettit 宇宙飛行士が行った一連の実験 "Don Pettit Space Chronicles" です。 水を使った実験も多く、水の膜を作る、水の膜にハンダごてを近づけ表面張力対流を起こす、泡を含む水球を回転させる、 水の球にブロワーで風を吹き付け表面に波を発せさせる、中空にした水の球の中に小さい水の球を入れる、 などさまざまなパフォーマンスが試みられています。

ところで、水の球に振動を与えると、表面張力による波が発生します。 このとき、波が往復する周期に合わせて振動を与えると、水の球は共鳴して特有の変形を示します。 この球の振動パターンは、球面調和関数として知られているものです。 一方向に振動を与えるだけでも十分おもしろいのですが (Donald Pettit 宇宙飛行士による、水の球に風を吹き付ける実験は、これに該当します)、 球の2か所から同じ振動を与えると、2つの波が干渉してもっとおもしろい形で振動することが知られています (たとえば、高木隆司編:「かたちの事典」)。 この試みは、まだ宇宙で行われたことがありません。 私たちの提案は、水の球に2か所で振動を与えて水を変形させる実験をきぼうで行うことでした。

l=3
l=4
l=5
l=6

上の図は、水の球に2か所から振動を与えて水の振動を共鳴させてとき予想される変形を CG で表したものです。 振動がゆっくりなときは三角形のようになります。 振動を速くしていくと、共鳴する振動数に近づいたところでつぎつぎと、四角形、五角形、… のような変形が現れるはずです。

筆者たちは、宇宙での実験に先立って、地上でも実験を行いました。 地上で擬似的に重力を消すために、水と比重が等しい油性の液体を捜した結果、 磁性流体をその溶媒である流動パラフィンで薄めて濃度を調整すると、水と同じ密度にできることが分かりました。 磁性流体は黒褐色の液体なので透明感がありませんが、やむを得ません。 下の写真は、地上実験のようすです。 磁性流体の球は扱いがむずかしく、あまり大きくできませんでした。 実験に使ったのは直径 2 cm 弱の小さなものです。 球が小さいと、共鳴する振動はとても速いものになります(周波数は数 Hz から10 Hz 以上)ので、ビデオで撮影してスロー再生してやっと変形のようすが分かるという実験でした。

5 Hz
4_0010s
10 Hz
5 Hz での共鳴
7 Hz での共鳴 10 Hz での共鳴

誰でも簡単に水の球を変形させられることを示すため、宇宙での実験では人の手によって振動を与えることを提案しました。 球が大きいほど、表面張力による振動はゆっくりとしたものになるので、できるだけ大きな水の球を使う必要があります。 筆者たちは、直径 10 cm 程度の水の球が必要だ主張しました。 水が機器に入ると危険なので、水を扱う実験には細心の注意が要求されます。 JAXA の NASA との粘り強い交渉で、けっきょく直径約 8 cm の水が使えることになりました。 この大きさだと、何とか手で振動を与えて共鳴させることができそうです。 こんな大きな水の球がよく許可されたものだと、JAXA には感謝の念でいっぱいです。

4 結果

4-1 経過

軌道上での実験は、2008年9月9日の朝(船内時間=グリニッジ標準時)、当日の最初の実験として実施されました。 提案代表者(藤原)は、筑波宇宙センターの管制室で実験に立ち会いました。
実験の準備にかかって、まずタンクに水がほとんど残っていないことがわかり、ロシアのモジュールまで水をもらいに行かなければなりませんでした。 これで予定が遅れました。 実験の様子を撮影するハイビジョンカメラの映像はリアルタイムで地上に送られる予定でしたが、 これも手違いで接続ケーブルが行方不明になっており、 映像を見ながら実験を進めることができなくなりました。 また、宇宙飛行士の身体が浮いた不安定な状態では水の球を振動させることがむずかしいとの宇宙飛行士の判断で、 足を固定させるためのスリッパを居住区まで取りに戻る必要がありました。 こうして、予定より1時間ほど遅れて実験が始まりました。

実験の様子は、きぼう船内実験棟の端に置かれたモニタカメラで遠くから見ることができましたが、 水の球はボックスの中にセットされていたので、モニタカメラでは見えませんでした。 あとでわかったことですが、 水の球を保持するための針金ループの柄の部分が収納のため蚊取り線香のように螺旋状に巻いてありましたが、 その螺旋を伸ばさずに水の球を作ってしまったため、針金が水の表面を押さえる形になり振動が急速に減衰してしまいました。 映像がリアルタイムで見えていたら修正できたと思われるので、残念です。 限られた時間の中での一度きりの実験のむずかしさを知らされました。

撮影は、針金のループに水を付着させて球を作るところから始まりました。準備が終わると、いよいよ振動実験開始です。 実験は、手で与える振動の周波数(振動数)をいろいろ変えて、計8回ほど実施することができました。 振動実験は約10分で終わりました。撮影開始からは20分あまりの時間が経っていました。

4-2 解析

表面張力による水の球の振動は、球面調和関数によって記述できます。 理論で求めた周波数は事前に宇宙飛行士に伝えてありましたが、 本実験に続いて行われる別の実験のために水が暖められていたこと、 途中で界面活性剤が加えられたこと (与える振動が速すぎると思われたときは界面活性剤を加えて表面張力を下げるように指示してありました) ことのために表面張力が下がり、共鳴周波数は事前に伝えてあったものよりも低くなったはずです。 しかし、水球の様子を見ながら周波数を手で調整するという宇宙飛行士の適切な判断で、 想定した変形をうまく引き出すことができたのです。

時間の経過順に、水の球に与えられた振動の周波数と変形のようすをまとめるとつぎの表のようになります。 なお、振動は手で与えられたものなので、周波数は変動しています。 表の中の周波数は、それぞれの実験(すべて11分版の動画に収められています)での平均的な周波数です。


順番
11分版
での位置
2分版
での位置
周波数
結果 (水の球の変形)
1
6:08~

約 1 Hz
三角形に近い形(このあと界面活性剤を添加)
2
6:37~

1.0 Hz
四角形に近い形
3
7:06~

2.5~3 Hz
あまりきれいな形は現れず
4
7:23~
1:00~
0.6 Hz
三角形  →  1625_0372 1625_0351
5
7:53~
1:43~
1.4 Hz
五角形  →  17m58s 17m59s
6
8:23~
1:23~
1.1 Hz
四角形  →  2004_0315 2004_0327
7
9:05~

2.0 Hz
六角形  →  2054_0298 2054_0308
8
9:49~

3.5 Hz
振動を与える位置が一定しなかったため、きれいな形は現れず


一般に、水の球の振動の周波数は、球の半径、水の密度、表面張力、振動パターンによって決まります(別ページ 球面の振動 を参照)。 計算と実際の変形を比較した結果、表面張力が 40 mN/m (ミリニュートン/メートル) 前後であったとすると、周波数と変形の関係がうまく説明できることがわかりました。

5 展望

一般に、実験やパフォーマンスでは、時間の大半は準備に費やされます。 今回も例外ではなく、水の球を変形させる実験に割り当てられた正味の時間はわずか10分でした。 きれいな形を得るためには、手で機械的な正確さで振動を与えなければならないので、ある程度の習熟を要すると予想していました。実際には練習する時間もなく、限られた時間の中でいきなりの実施になったわけですが、 それにもかかわらず、予想された変形が見られ、提案者としてたいへん満足しています。

今回は公式な実験ということで、水の球の大きさに制約があり、 さらに飛び散った水滴が実験室内を漂わないように換気扇を止めるなど、細心の注意が払われました。 ただ、実験は特別な道具を必要としない容易なものなので、宇宙飛行士のみなさんには、 水が飛び散らないような対策を講じた上で、自由時間を利用してぜひ挑戦していただきたいと考えています。

さらに、将来的には、水が飛び散らないよう工夫した上で、大きな水の球が ISS の中にモビールのように置かれ、 宇宙飛行士が棒で振動を与えたり回転させたりして水を変形させて遊べるようになることを望んでいます。 彼らは、これまで宇宙で行われた水を用いた実験を超えるさまざまなパフォーマンスを発明し、 地上では見られない水の特性を人々に見せてくれるでしょう。 また、水の中で水草や魚を育てて、水の球を「水盆」として使うこともできるかもしれません。

地上では、重力があるため、水が表面張力で球形になるのは小さな水滴に限られます。 また、水滴が小さいため、水滴の振動は目で見えないほど速いものになります。 しかし、たとえば等間隔で落ちてくる水滴に点滅するストロボを当て、 水滴が止まっているように見せることができます(商品化されています)。 この落下する水滴に低周波の音波あるいは振動する気流を当てると、水滴が踊るように見えると思われます。 これは、今回の実験の地上への応用といえるでしょう。 音波の周波数や当てる方向を変えると、興味深い変形が見られるかもしれません。

また、密度を水と同じにした油性の液体を水中に浮かべることで、地上でも微小重力を擬似的に実現することができます。 油性の球を安定して保持することができれば、微小重力を手軽に疑似体験する装置として使えるでしょう。



関連情報

「微小重力空間における液状物質による造形の創作研究」(PDF) … 科学研究費 2004-2005年度基盤研究C 報告, 野村+藤原+砥綿


戻る